会社倒産・介護離職・契約・派遣・コロナ禍、ありとあらゆる負の条件がそろい踏みの人生です。

会社倒産・介護離職・契約・派遣・コロナ禍、ありとあらゆる負の条件がそろい踏みの人生です。

【性別】女性
【年齢】(金欠だった当時)
56歳
【職業】(金欠だった当時)
専業主婦

【住まい】(金欠だった当時)
持ち家に夫婦二人で





【金欠になった原因】
親の介護などで夫が仕事を辞めざるを得なくなったのが十年前。
契約の仕事で繋ぎながら長い介護生活を終え、ようやく職探しをするも、年齢がネックとなり結局派遣という不安定な状態でいたところに、このコロナ禍で仕事量を減らされ家計はさらに逼迫。
家のローンも払えない状態になり、本・洋服・家電など、売れるものは何でもリサイクルに出すなど、本当に苦しく辛い状態の二年でした。




【金欠当時の心境と自尊心】
自信などはありませんでしたが、不安は不思議と思った程抱く事はなく、夜眠れぬ程に悩むという事もありませんでした。
なぜかと言うと、介護生活の方が辛かったからです。
終わる事のない介護生活が十年も続けば、大抵の事は耐えられると思えたからかも知れません。
ただ、この貧困状態からいつ脱出できるのか?という現実問題は、まだ解決できてはいませんが。

【金欠当時の食生活】
野菜の皮などは勿論捨てません。
キンピラをはじめ料理に使っています。
玉ねぎの皮やその他野菜の芯・根などは、冷凍庫に貯めて置き、煮出した出汁「ベジブロス」を作り、煮物や味噌汁に活用しています。
しかしこれらは、ずっと昔から我が家では当たり前にやってきた事なので、工夫したかと言われるとわかりません。
食費は夫の仕事が肉体労働なので、十分に食べさせてあげたくて、結構使っているかも知れません。
月3万円程度です。

【金欠当時の日常生活】
お金が無いせいで困った事は、病院への定期検査を止めた事で、再発の恐れを抱きながらの状態が続いたことです。
一回の検査で万札が飛ぶので、きっと大丈夫だと言い聞かせながらの日々でした。
後は給湯器が壊れたのですが、買い替えるお金が無くて、暫くはレンタルの給湯器で凌いでいました。
無駄な電気はもとより使いませんし、テレビは主電源から消すなどは昔から実践していますので、後は夏は自然の風に頼る、冬はとにかく着る、これでやり過ごすしかありませんでした。




【金欠当時の人間関係】
卒業した学校からの寄付のお願いがあったのですが、出せませんでした。
かつて役員をやっていたのに。
友達からの年賀状にも返事を出しませんでした。
とにかく生きる事に必要な事以外には、お金を使いませんでした。
携帯を格安に変えて、保険も最低限の所だけ残して替えました。
被服費や遊興費には一円も使っていませんし、友達とのお付き合いもしていません。
冷たいと思われているかも知れません。




【金欠当時の仕事】
夫の仕事が不安定な派遣だった所に、コロナで仕事量を減らされたので、ただでさえ少ない収入は半減。
介護離職のツケもあり、家計はここ十年以上ずっと火の車状態です。
正規の仕事はもはや年齢的にありませんし、これからも派遣という浮草のような状態は変わりません。
考えてみれば介護離職する前は会社が倒産したりと、仕事運には見放されているような気がします。




【相談と助けてくれた人】
誰にも助けを求めませんでした。
そもそも頼れる親はすでに他界・介護状態でしたし、夫の兄弟は離れて暮らしているし、介護を任せっきりにしていた兄弟などには頼りたくもないですし。
ただ「何とかなる」という思いだけで凌いでいましたが、やはり「何とかなる」という漠然とした気持ちだけでは如何ともしがたく。
公的機関に相談するなどし生活保護も検討しましたが、車を取り上げられるという時点で、どうやって仕事へ行くのさ!と思いますし、半端な制度しかない気がしました。
そこで家を売るという決心をした時、初めて光明が見えたきがします。




【現状】
今も金欠が続いており、生活に困っている

【転機ときっかけ】
今も生活は苦しいし、如何ともしがたい状況には変わりありませんが、自宅を売却する事で何とかローン地獄からの脱却に目途ががつきそうという事で、名残惜しい気持ちもありましたが、生きる事が最優先には違いないし、売ると言っても投げ売り状態でしたが、手放す事を決意。
慌ただしくその手続きや引越しの準備などをして、今は賃貸の安アパートに住んでいます。
マイホームより狭いし古いですが、今は何だか解放された気分でいるのも事実です。




【現在の状況と心境】
勤務する会社の倒産、再就職、介護離職、契約、派遣という、金銭的にも不安定な状態が続いたこの十数年で、ある程度の耐性が付いたと言いますか、ちょっとやそっとの事態には驚かなくなりました。
とは言え、勿論お金が無いと何もできないし、生活保護など行政には頼れない事を知りました。
そして命を繋げるためにお金は必要なのに、その保証さえ出来ない派遣の実態というのも知りました。
しかしながら、マイホームという足かせから解放された今は、投げ売りでも手放して良かったと思っています。




【学んだこと】
「家」は守るものではなく、手放す事で「生きる」事を守るーそんな事を学んだ貧困生活でした。
いや、貧困生活は絶賛継続中ですし、抜け出せる見込みもありませんが、主体がどこにあるのかをきちんと見極めれば、お金に振り回されるような事態は減るのではないかと思います。
その代表例が「家」だったし、親の介護による離職でした。
勿論、あの時離職していなければ介護は十分にできなかったですし、晴れやかな気持ちで送り出す事もできなかったでしょうが。



【当時の自分へのアドバイス】
介護は、行政や民間のシステムを利用できるだけ利用しなさい。
自分で何とかしなければ、なんて視野が狭くなるような事を考えなくても良いよ。
そして、親戚や兄弟の視線なんて気にしないで良いよ。
どうせ彼らは何も手助けしないから。
親戚・兄弟とは金と時間は提供しないが、口だけは出すような存在だからね。
「良い人」になろうとしないで、自分を活かす人になりなさいねーそんな所でしょうか。